予約販売 ソリスト オカムラ Soliste 3K26LB 幅1600×奥行700×高さ1000mm メラミン天板 パネル脚ネオホワイト 平机 ハイタイプ ワークテーブル、作業台 |
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31,482円 104,940円 |
商品番号:OK-3K26AB-HMZA75
特徴·おすすめ用途
オフィス ビジネス 事務所 事務室 会社用 オフィス用 業務用 セキュリティ 作業書類 パソコン デスクワーク 事務 休憩スペース 休憩室 休憩所 フリースペース バックヤード 病院 診療所 医院 病室 診察室 介護施設 職員室 学校 講義 セミナー
商品について | |
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サイズ | 幅1600×奥行700×高さ1000mm |
脚タイプ | パネル脚 |
材質 | メラミン天板 ※天板は手痕が付きにくく拭き取りやすい高機能メラミンを使用しています。 (プライズウッドライト·プライズウッドミディアム·プライズウッドダークのみ) |
生産国 | 日本 |
保証について | 1〜3年保証(部位により保証期間が変わります) ※社団法人日本オフィス家具協会(JOIFA)規定に基づく ※詳しくは製品に同梱されるメーカー保証書(取扱説明書に記載)をご確認下さい。 |
備考 | ·抗菌機能付きメラミン化粧板 表面に細菌を増殖させない加工がされている抗菌加工天板。 ·配線経路 天板下にはOAタップやケーブルの余長を収めることができる配線ダクトがついています。 ·配線ダクト 配線ダクトはカバーを外して手前からアクセスすることが可能です。 ·配線の立上がり 天板の幕板の間の隙間を通して机上面に配線を立ち上げることができます。 ·幕板 足元を隠す幕板が標準装備されています。 ·グリーン購入法適合商品 |
ご注意 | ※幕板は脚と同色です。 |
配送について | |
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ご注意 | この商品はメーカー直送便にてお届けします。配送詳細については必ず をご確認ください。 |
お届け日について | お届け日(発送予定)は在庫がある場合の最短納期表示です。 在庫切れの場合、ご注文確定後の受注生産となり、お届けまで約1カ月お待ちいただく場合がございます。 また、配送日のご連絡につきましてご案内にお時間がかかる場合がございます。予めご了承ください。 |
配送費用について | 配送費無料。離島は別途お見積り。 |
階上げ(階下げ)について | Dパターン ※ の詳細をご確認ください。 |
組立について | こちらの商品は現地組立品です。(開梱·組立設置·梱包材回収まで無料で行います) |
オカムラ ソリスト 3K26LB カラーコード対照表 | ||
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MGM8(ブラック×ネオホワイト) | MU03(プライズウッドライト×ネオホワイト) | MU04(プライズウッドミディアム×ネオホワイト) |
MU05(プライズウッドダーク×ネオホワイト) |
これからのオフィスを支えるスタンダードデスク SOLISTE
リモートワークやフリーアドレスなど働き方が多様化し、オフィスのデザインにも柔軟性が求められるようになってきました。SOLISTE(ソリスト)は、これからのオフィスに合わせて開発された、新しいスタンダードデスクです。シンプルなデザインで、単体で使っても美しく、複数で並べても圧迫感がなく、開放的で洗練された空間を演出します。
ポイント
無駄を削ぎ落としたシンプルなデザイン
デスク側面を薄くシンプルなパネルで構成することで、クラシックな形でありながら軽やかさを実現しています。
ケーブル類をスッキリ収納
天板下にはOAタップやケーブルの余長を収めることができる配線ダクトがついています。煩雑になりがちなケーブル類をすっきりまとめて格納できます。
配線ダクト
配線ダクトはカバーを外して手前からアクセスすることが可能です。各種配線のメンテナンスも容易に行うことができます。
配線の立ち上がり
天板と幕板の間の隙間を通して机上面に配線を立ち上げることができます。ワイド方向のどこからでも立ち上げることができます。
足元を隠す幕板
足元を隠す幕板が標準装備されています。向かい側からの視線を気にせず集中して作業することが可能です。
2つのデスクの高さを自由に選んで、多様な働き方をカバー
天板の高さは、タッチダウンや電話など短時間の利用に適した高さ1000mmと落ち着いて座り仕事をするのに適した高さ720mmをラインアップ。2種類の高さにより仕事の効率化をサポートします。
使用イメージ
シンプルなデザインと豊富なカラーバリエーションにより、多種多様な空間が求められるABWのオフィスもカバーすることができます。
落ち着いた木目をパネル脚にセレクトすることで、高級感のある空間にもフィットします。
視線が異なるようにコントロールされたデスクレイアウトを組み込むことで、集中とコミュニケーションをバランスよく持ち合わせることができます。
仕事内容や気分に合わせて机の高さを選ぶことで、効率が上がったり、新たなアイデアを掴むことが出来るかも知れません。
バリエーション
商品サイズ
−写真に興味を持ったきっかけから教えてください。
中学1年生の時に、『子供の科学』という科学雑誌の8月号に天体望遠鏡の工作付録がついたんですよ。みんなの憧れの天体望遠鏡ですから、あっという間に売り切れてしまって、長野市内の書店を探しても出版元にもどこにもない。それで親にねだって本物の天体望遠鏡を買ってもらったんです。中学2年生になってからは、父のカメラで天体の写真を撮るようになりました。
−大学は光学工学科を卒業。やはり写真好きが高じて?
そうです。レンズの設計に興味があったんです。でも、レンズの設計はコンピューター相手にプログラムを組む数学の分野ですから、アウトドアが好きな自分には向いてなかった。すぐに諦めて、対象となるものには触れずに写真の画像だけでそれがなにかを測定したり調べたりするリモートセンシングというのを卒業研究にしました。大学卒業後は光学機器メーカーに就職したかったんですが、当時は第一次オイルショック後の不況で就職難の時代。最終的に地元長野の、航空写真も扱う測量会社に就職しました。とはいえ当時は航空写真を扱う機会はなかなかなくてね。測量士補という国家資格をとって、出張しては日本各地を測量していました。測量は街中だけではなく郊外や野山でも行いますし、地球相手の仕事ですからおもしろかったです。ただ出張の連続で、とても天体の写真を撮る時間的な余裕はありませんでしたけどね(苦笑)。
−天体の写真を再び撮るようになったのは、市役所の測量技術者として御殿場市に移り住んでからになるわけですか。
車で50分も走れば富士山の五合目に着きますし、そこは雲の上ですから、御殿場市内は多少天気が悪くても、いつでも星が見られる。空気は澄んでいますしね。天体の写真を撮るのにこんなにいいところはない、と思いました。しかも土日は完全に休みの部署でしたからね。引っ越してきた翌年に長男が生まれてからも、実家の仕事を手伝っていた妻の代わりに土日の日中は子どもの世話をしたあと、星を撮りに出かけてました。自由になる時間は夜だけでしたし、仕事のストレス解消のために、誰もいないところに自分の身を置きたい、という気持ちが強かったので、どんどんのめり込んでいった、というのもあるでしょうね。最初は週末の夜だけでしたけど、月や星座の位置を見ながら、“今日、あそこに行けばイメージ通りの写真が撮れる”という時には、平日に出かけることもありました。データブックを見ると、100日以上行っている年もあります。
−3日に1度ですね。
ええ。さっきも言いましたが、大雨でもない限り、五合目は雲の上ですからね。むしろ下界の光が遮られて、撮影には良かったりする。「曇っているのに出かけるの?」と、妻に疑いの目で見られたこともありました(苦笑)。
−星と富士山の写真も撮られてますよね。
最初のうちはオリオン大星雲をアップで撮るとか、星ばかり撮ってました。でもこんなにいい環境ですからね。富士山と星を撮ろうという気持ちが、自然に芽生えていました。富士山写真を撮る人の夜の富士山とは一味違う富士山、星空の良さを出しつつ富士山も魅力的な芸術写真を撮りたいと思っていましたね。
−1998年から日中の富士山の写真を撮り始めたそうですが、きっかけはなんだったのでしょう?
40歳を過ぎて徐々に体型がメタボになって医者に運動をすすめられたことと、地元の御殿場で富士山写真コンテストがあったことですね。星の写真は体を動かす必要がありませんから、昼間に富士山を歩きながら本格的に富士山を撮ってみよう、と。岩橋崇至さんという山岳写真家が“人間は歩いている時に一番感受性が豊かだから、撮影ポイントは歩いて探しなさい”ということをおっしゃっていましたから、登山道以外にも古道や獣道に分け入って・・。
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獣道がいいんですよ(笑顔)。縦横無尽に山の中を巡っている上に、歩きやすいし、動物の視点で風景を見られますからね。そんなところを苦労して登っていますから、写真を撮った時の感動が星の写真とはまるで違う。それがとにかくおもしろかったですね。あと、星の撮影とは勝手が全然違うので、最初はなかなか思い通りに撮れなかったんですよ。それで余計に気合が入ったし、1999年に宝永火口でお絵描きをしている娘の写真が御殿場の富士山写真コンテストヒューマンの部の金賞に選ばれたことは、さらにのめり込むきっかけになりましたね。とにかく富士山の懐に入って、誰も見たことのない、誰も撮らない富士山を撮ることを目標にしていました。
−当時、なにかご自身に課していた縛りはありますか。
1日に撮るのは10枚撮りのフィルム3本と決めてました。予備は持っていかない、どんなにいい場面に遭遇しても、それは諦める、と。家計のこともありますし、たくさん撮ればいい写真が撮れるというわけではありませんからね。だから一写入魂です。撮影場所、構図、露出などいろんなことを熟考して撮影し、現像から上がってきた写真を第三者的な視点で見て吟味して、もっといい写真を撮るにはどうしたらいいかを考える。その繰り返しでした。
−今はデジカメですよね。
ええ。フィルムの時は年間で100本、1000カットでしたが、今は年間1万カットから2万カット撮っています。デジカメは露出やピント合わせが自在なので、写真は変わりました。フィルムの時は富士山が主体でしたけど、花や木を前景に取り入れるようになった。ただ山の中に入って撮っているのでマニアックな写真が多いんですよ。妻には「稜線が全然写ってないからあまりきれいな富士山じゃない」と言われますしね(苦笑)。でも去年、生まれ故郷の長野で個展が決まった時に、一般のお客さんにもっと喜んでもらえるような写真があったほうがいいなあ、と思ったんですよ。それで最近は、麓や海越しの富士山なんかも撮るようになりました。
−富士山で写真を撮り続けてきたことで感じる変化はありますか。
いろいろあります。例えば、以前、草原いっぱいに咲いていたカリヤスモドキが鹿に食べられてなくなってしまったり、メイゲツソウの花が咲いていた場所が下界から進出してきた雑草だらけになったり、富士山中では珍しい秋には赤く色づく木が雪崩でなくなってしまったり。どれもいい変化ではないので残念です。
−富士山にはどんなイメージを?
御殿場に移住する以前は、雄大で、裾野までひいた稜線がきれいだなあ、と思っていました。でもいざ富士山の中に入ってみると、水はないし植物も少ないし、あるのは岩と火山礫ばかり。でもその人を寄せ付けないところが、私にとっては魅力だったんですよ。私は大勢の中は苦手なほうなので、なるべく人のいない場所を選んで行きますが、ポツンと一人でいても孤独とか寂しさは全然感じないですね。むしろいろんな煩わしさから解放される心地よさのほうが大きいです。富士山の誰もいない場所で、持っていったコーヒーを飲みながら一人でボケーっとしてるのが、私の至福の時と言っていいくらいです。
−富士山で一番好きな場所はどこですか。
いい場所はたくさんあるので、順番をつけるのは難しいです。強いて挙げるなら御殿庭かな。3つある宝永火口のうちの一番下の火口の中ですが、あまり人もいないし、外の世界と遮断されているのですごく落ち着くし癒されます。御殿庭は、花や緑の生き生きとした生命力を感じる春や夏もいいし、それなりに厳しさがある秋とか冬も風情があっていいですよ。初めて行った1998年の晩秋は、木々の葉っぱが全部落ちていて、冬枯れの感じが非常によかったです。
−今、飯田さんが目指しているのはどんな写真ですか。
他の人が撮らない、自分ならではの写真です。その上で多くの人にも喜んでもらえる写真ならなおいいですね。そこにはまだまだ到達できていませんが、2016年に河口湖美術館主催の富士山写真大賞で最高賞の金賞をとった「源」という写真は、私の代表作だと考えています。あの写真は、私が15年の歳月をかけてやっと撮れた作品なので。これからもきれいさにはこだわらず、富士山そのものを撮っていきたいですね。
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去年、ある植物を見つけたので、それが咲いているところを今年は狙っています。他にもまだまだ自分が足を踏み入れてない場所があるし、出会ってない素晴らしい富士山の風景があると思うので、体が言うことを聞いてくれる限り、それを追いかけ続けたいですね。
1955年 長野市内の造り酒屋の三男坊として生まれる。東海大学工学部光学工学科卒業後、地元長野の測量会社に勤務。82年、妻の実家のある御殿場市役所への転職をきっかけに移住し、星と富士山の写真を撮り始める。98年からは昼間の富士山の撮影も開始。99年、第5回御殿場の富士山写真コンテストヒューマンの部金賞、01年、第4回日本百名山写真コンテスト特選、02年、第8回御殿場の富士山写真コンテスト富士山の部最優秀賞、11年、第4回山中湖富士山フォトグランプリ金賞、16年、第18回富士山写真大賞金賞などを受賞。山頂に立った回数は「50回以上100回未満」。
飯田龍治さんのHP
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